僕なりの「丁寧な暮らし」とは

丁寧な暮らしとは

三十路半ばを迎え、人生の折り返し地点に立ったなぁと思い、ふと「暮らし」って何だろうと考えるようになりました。働いているけれど、結婚もしていないし、もちろん子供も授かっていない独り身なので、そんなことを想うのは恐らく年のせいなのでしょう。

暮らしとは一日一日を過ごすことであり時々の突発的なものではなく、定常的な物事の積み重ね。眠りから覚め起き、動き、ものを喰らい、また眠りにつく。その繰り返し。それは昔々から変わらない、動物と同じヒトとしての本能ですが、文明を得て文化的な暮らしを覚えるとその枠に収まるわけがありません。
スローライフ、ロハス、田舎暮らし、そして丁寧な暮らし等々、癒やしや落ち着きを求め様々な言葉でライフスタイルが提案されるのも、変化の激しいストレス社会ならではと言えるでしょう。

そんな稚拙な小論文のような前置きはさておき、その中で少し前から見かける「丁寧な暮らし」について、独り身ですが三十路半ばの今の僕として考えることを少し。「暮らし」に形容詞がつくということは、それだけライフスタイルが多様化していることにほかならないのですが、では「丁寧な暮らし」の「丁寧な」とは何でしょうということになります。

暮らしは一日一日を定常的に過ごすことと考えると、丁寧もなにもありません。人それぞれなので、この抽象的なコトバは独り歩きしそうですが、結局は、その時々のその人に適した「身の丈にあった生活」がその人なりの「丁寧な暮らし」なのではないのでしょうか。上質な高級ブランドを身にまとうことでもなく、食事やお菓子は手作りという自然派ナチュラルスタイルでもなく、その人のその時々のライフステージにおいて、一日一日充実し心地良いと思える暮らしが「身の丈にあった生活」であり「丁寧な暮らし」なのではと思います。

「丁寧な暮らし」とは「身の丈にあった生活」ならば、暮らしをしっかりと見つめ、モノやコトを十分に咀嚼することが「丁寧な」ということになります。人は当たり前ですが身一つなので、「丁寧な暮らし」を考えると、自然にシンプルでミニマムな生活に辿り着きます。
僕もモノをなるべく持たない生活を心掛けているのですが、過度なミニマリスト的スタイルは個人的に「丁寧な暮らし」ではないと思います。ポジティブにもネガティブにもストレスのない丁度良い心地良い暮らしが、その人それぞれの「丁寧な暮らし」ではないかと。

丁寧な暮らしがストレスのない心地良い(決して楽な生活のことではありません)ならば、他所様の暮らしや流行に流されるのは根本的に異なります。「流されない」のであれば、自分なりの「スタンダード」を持つことが必要です。つまり、「丁寧な暮らし」とは、社会の中で生きてきて形成されたその時の自分なりのスタンダード(決して頑固なワガママなものではなく)に従い、一日一日を一生懸命に生きることに繋がるのではないでしょうか。

最後に、それでは三十路半ば大人になった今の僕のライフスタイルのスタンダードは何かと問われれば、「衣食住を大切に」と答えます。これもまた抽象的ですが、その曖昧さが逆に心地良いものです。僕なりの「丁寧な暮らし」とは衣食住を大切にする暮らしであり、それについてはまた別の機会に…。

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2016-04-09 | Posted in 日々のこと, , Comments Closed