ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』 肉親間だからこそ生まれる憎悪 一級のミステリ作品

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫) カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)
 ベストセラーとなった光文社の新訳ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』。
 父親フョードル・カラマーゾフは、圧倒的に粗野で精力的、好色きわまりない男だ。ミーチャ、イワン、アリョーシャの3人兄弟が家に戻り、その父親とともに妖艶な美人をめぐって繰り広げる葛藤。アリョーシャは、慈愛あふれるゾシマ長老に救いを求めるが…。

 正確に記すと、実はこの『カラマーゾフの兄弟』を文庫版で手にしたことはない。もちろんベストセラーとなり、本屋に平積みされる程人気を博した作品であることは知っているのですが、非常に長編であることと、難解そうなイメージから、敬遠していた作品。

 そんなところに、昨日、日本テレビ系列で『あらすじで読む 世界名作劇場』という番組が放映されていた。その中に、このドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』がケンドーコバヤシさんによって紹介されていた。
 今回は、その「あらすじ」によって頭に入れた『カラマーゾフの兄弟』でレビュー。もっとも、原作に触れていないので、個人的な防備録として記しておきます。

【あらすじ】
 フョードル・カラマーゾフの息子たち、性格がお互いにまったく異なる3人の兄弟ミーチャ、イワン、アリョーシャと、フョードルの使用人で、その息子であるとは認められていないスメルジャコフの物語。フョードルの殺害、また、その事件をめぐる裁判を描く。

 直情的な性格の長男ミーチャは、借金に悩み、遺産の相続や、グルーシェンカという女をめぐって父親と激しくいがみ合う。グルーシェンカのことが原因で、気位の高いカチェリーナとの婚約も破棄される。
 皮肉屋で知的な次男のイワンは、カチェリーナのことを愛しており、カチェリーナを冷たくあしらう腹違いの兄ミーチャに憤る。
 皆に愛される性格の敬虔な三男アリョーシャは敬愛する老僧ゾシマに導かれ、修道院での生活を始める。

 フョードルが死体で発見されたとき、真っ先に嫌疑がかけられたのはミーチャであった。真犯人のスメルジャコフは、イワンに真実を告白してすぐに自殺してしまう。ドミートリイは有罪の判決を受け、シベリアへ流刑となる。


【レビュー】
 今更、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』が推理モノだったと知り、正直驚いた。そして、家庭内暴力、愛憎劇、冊自陣事件と、ある意味「大衆的」なお馴染みの舞台設定が用意されている。

 話の主人公としては、三兄弟+私生児である使用人、四人それぞれが物語の重要な核となっている。

長男ミーチャ:退役軍人。直情型の人物で体育会系。
次男イワン:知的な人物。合理主義・無神論を気取っている。
三男アリョーシャ:非常に純粋な人物。
使用人(私生児)スメルジャコフ:イワンに憧れる無心論者。

 四人ともバラバラの性格の持ち主であり、ある意味、世の中の人間の様々な性格を代表しているように思える。

 さて、ミステリ小説としての『カラマーゾフの兄弟』としては、真犯人は使用人のスメルジャコフである。最初は長男のミーチャが疑われて逮捕されてしまうのだが、その後次男のイワンは精神に異常をきたす。そして私生児であるスメルジャコフは、自分の行いをイワンに打ち明けた後に自殺してしまうという流れだ。

 この世に神が存在するならば、貧困に直面している子供がいるのはおかしい。ということは、この世に神は存在しないことになる。
 神はこの世に存在しないのだから、たとえ人を殺しても罪にはならない。

 合理主義で無神論者の次男イワンの考え方だ。

 個人的にも、信奉する人物もモノも存在しない。感心はするけれど尊敬はしない。しょせん「他人は他人」なのだ。自分自身も何かに対して憎悪を抱くことがゼロとは言えない。それでも、ある種割り切って生きている。虚無的と言えばその通りかもしれない。

 もし、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』が肉親関係の物語でなければ、この壮大なる主題は掲げられなかったように思えてきます。肉親間だからこそ生まれ、消去することの出来ない憎しみが、そこには存在するから。
 そう考えると、メディアで「理解不可能」的扱いをされている家庭内殺人事件も、ある種視点を変えると見えてくる世界があるかもしれない。

 今回、テレビ番組であらすじをトレースした『カラマーゾフの兄弟』。大まかな流れは掴んだので、今度は是非小説の方で触れてみたい。

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

Ad

2008-01-14 | Posted in 日々のこと, , , , , Comments Closed